• 2004年2月「かめりあ」(関門海峡)

    神田造船川尻でのドックを終えて博多港に戻っていくカメリアライン「かめりあ」。1975年建造で近海郵船(東京〜釧路)に「さろま」として就航した後、引退後に1990年から2004年までの14年間カメリアライン(博多〜釜山)に就航しました。中古船で当時としても高齢の1隻でした。夜間航海での隔日運航でした。撮影から5ヶ月後に引退しました。
  • 2004年3月「ニューかめりあ」(三菱重工業下関)

    その「かめりあ」の代替船として新造船「ニューかめりあ」が三菱重工業下関造船所で建造中でした。本船は7月に就航し、出国側(博多→釜山)は昼間便で運航され 毎日運航に変わりました。毎日になった便利さの一方で、出国側で夜行便に乗るには、関釜フェリーまで行く必要が生じてしまいました。2018年になった今でも船内は綺麗でよく整備されている船です。
  • 2004年2月「YANJING(燕京)」(神戸港)

    神戸港から中国・北京に近い天津港を結ぶ航路がありました。1990年に尾道造船で建造された船で、1万トン程度のそこまでは大きくない船体でしたが、黄海を進み中国大陸とを結ぶ航路で、日本から空路を使わずに大陸に渡って旅をしていくのにも使用された航路です。このあと2012年に航路の廃止が決まり、2018年現在、中国は上海への航路のみになっています。
  • 2004年2月「さんふらわあこがね」「はやぶさ」(新来島どっく大西)

    当時の中九州航路(関西汽船・ダイヤモンドフェリー)の多くは愛媛県の新来島どっく大西に来ていました。公園からも見やすい場所でした。この場所には長く、九四航路から引退し就航先のない高速フェリー「はやぶさ」が係留されていました。当時は燃料費の高騰もあって、高速フェリー=成功しないというイメージがありました。今でも安定して続けられているのは、佐渡汽船ぐらいでしょうか。
  • 2004年2月「フェリーダイヤモンド」(今治港)

    来島海峡近くにあった今治港、松山からも1時間ほどの距離ですが、ダイヤモンドフェリーはここにも寄港していました。昼便運航開始後は日中の入港も見れました。潮流が速いこともあって、今治港の入港には穏やかな天気でもタグボートがよくサポートしました。
  • 2004年3月「すとれちあ丸」(因島)

    画質も悪く、当時のメモもなく詳細の記憶がないですが、当時、東海汽船「すとれちあ丸」が2002年の引退後係船されていました。
  • 2004年3月「こんぴら2」(明石海峡)

    春の明石海峡はいかなご漁の季節。航路いっぱいに漁船が出て、航路が塞がることもあります。この年、初めてこの様子を見て、「こんぴら2」も航路外を航行して、明石海峡大橋の支柱より外側を潜っていく姿に、この季節の明石海峡に驚きました。水島に入港する巨大船も、この季節はよく来島海峡まわりで入ることがあります。
  • 2004年3月「しゃとるおおいた」(新笠戸どっく)

    横須賀〜大分航路を開設する、航路廃止など暗い話題が続いた長距離フェリーに明るいニュースがありました。シャトルハイウェイラインという新会社で、引退した「さんふらわあ おおあらい」「さんふらわあ えりも」を改造したものでした。写真は、ドックで改装中の「さんふらわあ おおあらい」改め「しゃとるおおいた」。まださんふらわあマークがうっすら見えています。
  • 2004年3月「さんふらわあ みと」(明石海峡)

    商船三井フェリーで大洗〜苫小牧を運航していた「さんふらわあ みと」がドックを終えて明石海峡を通過しました。本船は、撮影から2年後の2006年に引退し、一度パンスターフェリーの「PANSTAR SUNNY」となりましたが、その後台湾と中国本土を結ぶ航路に就航しています。
  • 2004年4月「おれんじえんぜる」(松山観光港)

    松山観光港〜呉〜広島航路は、当時も2018年の現在も変わらず4隻のフェリーで運航していますが、定期ドックで船が減る時は、オレンジフェリーが所有していた予備船「おれんじえんぜる」が臨時で就航していました。本船は、関連する各地の航路の予備船として応援に入る活躍をしていました。
  • 2004年6月「はまなす」(大阪港)

    2004年、新日本海フェリー「はまなす」が就航しました。就航を前に、大阪港天保山での見学会がひらかれ、多くの人で賑わいました。就航する港以外での見学会、主要顧客がいる場所でということだと思いますが、嬉しいですね。
  • 2004年3月「シーマックス」(下関港)

    松山観光港〜門司港を結んでいた高速船「シーマックス」が門司港の対岸の下関港唐戸への寄港を2004年に開始しました。私にとっては、帰省で何度となく乗った想い出の多い船ですが、燃料費高騰や船の老朽化もあって2008年に航路廃止となりました。その後は長く係船されて就航先がなかった本船ですが、2017年に沖縄の石垣島〜波照間島に「ぱいじま2」として就航しました。
  • 2004年7月(松山港)

    2004年、この年は船好き(と釣り人)にとって、大きな変化があった年でもありました。それまでは大型船が接岸する港の岸壁まで、船が接岸していないときは自由に行き来できる(暗黙であっても)港が地方を中心に多くありましたが、SOLAS条約の変更によって、外航船が入る岸壁には、フェンスが設置され立ち入りができなくなりました。撮影ポイントの多くがなくなりました。その後、外航船の少ない地方港では、外航船がない日には開放して釣り人で賑わっている柔軟な運用をしている港もあり、その土地にあった形で今の姿になりました。
  • 2004年7月「フェリーくるしま」「祥光」(松山観光港)

    この頃の松山観光港は、ターミナル側のバースを広島航路の短距離フェリーと小倉航路、奥側を阪神・九州航路が使用していました。そのため小倉航路は日中は高浜瀬戸内に沖出ししていました。日中に岸壁にいることはないのですが、何かイベントがあるときは早朝と夜間しか使用されない阪神航路のバースに着岸して対応していました。この撮影のときも阪神航路のバースを利用しています。このときが何だったかメモがないので正確には覚えていませんが、夏だと三津浜花火大会の観覧船となるときは夕方に着岸していました。
  • 2004年8月「おーしゃんのーす」(北条沖)

    オーシャン東九フェリーは通常は太平洋航路で、荒天時だけ瀬戸内海を航行します。夜間航海なので瀬戸内海でもあまり見れませんが、この日は台風で欠航となったあとに回航され、明るい時間帯に通過していきました。
  • 2004年9月「ニューあかつき」(鹿児島港)

    阪神〜沖縄航路に就航していた「ニューあかつき」は「琉球エキスプレス」の就航により、鹿児島航路に就航しました。写真では「ニューあかつき」ですが、このあと「フェリーあかつき」に船名を変更しています。鹿児島〜沖縄航路の鹿児島側のバースは鹿児島新港ですが、このときは北埠頭に着岸していました。
  • 2004年12月「フェリーダイヤモンド」(新来島どっく大西)

    新来島どっく大西にドック入りするダイヤモンドフェリー「フェリーダイヤモンド」。いつもここでドックをしていました。
  • 2004年9月「きそ」(三菱重工業下関)

    太平洋フェリーの新造船「きそ」がこの年建造されていました。翌年1月に就航しフェリーオブ・ザ・イヤーを受賞する名船になりました。
  • 2004年10月「おれんじホープ」(波止浜)

    今治造船では、オレンジフェリー「おれんじエース」の代替船で貨物重視タイプの神戸航路に就航する「おれんじホープ」が建造されていました。オレンジフェリー初の1万トン超えの大きな船体です。