• 2003年5月「スターダイヤモンド」(松山観光港)

    2003年、この年にダイヤモンドフェリー(のちに関西汽船と合併してフェリーさんふらわあになる)は、4隻での1日2往復から、3隻での1日2往復に変更しました。この結果、1隻「フェリーダイヤモンド」のみタイプの違う船で、3日に1回客室構成が異なり運用も利用者も大変だったのではと思います。このダイヤを実現するために上り便の1つは昼便(朝、大分を出港して夜に神戸到着)になり、大分〜松山〜今治〜神戸と瀬戸内海の風景を楽しめるものでした。とはいっても、当時のフェリーは今ほどパブリックスペースがなく、客室以外にくつろぐ場所はほとんどありませんでしたが。
    写真は昼便が松山観光港に入港するところです。11時頃のちょうどいい時間です。本船は現在フィリピンで活躍しているようです。
  • 2003年2月「やまと」(関門海峡)

    約1ヶ月半後の就航を前に試運転から戻る阪九フェリー「やまと」。船体の塗装は最後に行われたようで、就航前なのに船体の一部はまだ塗装されていません。阪九フェリーはこの船から三菱重工業下関に変えて、船体に開口部がない新しいスタイルになりました。このスタイルは次の「いずみ」にも引き継がれています。
  • 2003年6月「ニューせと」(広島県川尻沖)

    阪九フェリー「ニューせと」(1988年就航)は2003年6月に「つくし」の就航に伴い引退し、生まれ故郷の神田造船川尻沖に回航された。写真は回航されて数日後の様子。
  • 2003年5月「おれんじエース」(播磨灘)

    当時、オレンジフェリー神戸航路には最も高齢だった「おれんじエース」が1隻で運航していました。写真は夜明け頃の播磨灘で画質が悪くなってます。トラック重視の神戸航路ですが本船は通常の客室構成のフェリーで、大阪港の船がドックに入るときは、大阪航路に代船として入っていた記憶があります。当時のオレンジフェリーは昼便もあり各船1日1往復(「おれんじ8」は昼に大阪を出て、夜新居浜・東予港に寄港してそのまま折返し、翌朝大阪南港に戻る、「おれんじ7」はその逆)するハードなダイヤでした。
  • 2003年7月「ドルフィン ウルサン」(小倉港)

    2002年の日韓サッカーワールドカップの影響で、多数の日韓航路が開設されいずれも短命に終わりましたが、この頃はまだ航路が一部残っていました。本船は、北九州市の小倉港から韓国釜山を結ぶ航路として運航され、撮影から約1年後の2004年に廃止されました。
  • 2003年7月「ソレイユ」(松山観光港)

    広島と別府を結んでいた高速船「ソレイユ」の新たな航路として、別府〜松山が2003年4月に開設されました。当時、ダイヤモンドフェリーと関西汽船が朝と夕に2〜3便運航していましたが、日中の移動手段として開設されました。この航路は長くは続かず1〜2年で廃止されています。のちにフェリーの寄港もなくなりました。
  • 2003年8月「れいんぼう らぶ」(愛媛県大西沖)

    日本の長距離フェリーの唯一の空白地帯だった西日本の日本海側の航路として開設された九越フェリー(博多〜直江津(新潟県))、その初代の船が「れいんぼう らぶ」(13,621GT)でした。大きなスタイルのいいフェリーで荒れる日本海を走っていました。途中からは、東日本フェリーの室蘭まで延長され、博多〜直江津〜室蘭と九州と北海道を結ぶ航路になりました。ただ、旅客は少ない航路だったこともあり、豪華な客室構成と合わず、竣工からたったの4年で引退し、後継の貨物重視の「ニューれいんぼうらぶ」に引継ぎました。引退後はしばらく次の運航先がみつからず、数年間、長崎や大西沖で係船されていました。写真はそのときのものです。
  • 2003年7月「ニューれいんぼう べる」(博多港)

    上の「れいんぼうらぶ」「れいんぼうべる」に代わって就航した九越フェリー「ニューれいんぼう べる」。この船も長くは九越フェリーとして運航できませんでしたが、この当時はまだ運航がありました。船内は簡素化されたカジュアルフェリーです。九越フェリーの親会社になる東日本フェリーの経営難で2006年に本航路は休止になり、本船は商船三井フェリーに移籍します。その後、船名を「さんふらわあ しれとこ」に変えて船体にさんふらわあマークを付けて、大洗〜苫小牧に現在まで就航しています。
  • 2003年6月「銀河」(広島港)

    釜関フェリーは、下関〜釜山航路に新造船「SEONG HEE」が就航したのに伴い引退した本船を使って船名を「Eunha(銀河)」として広島〜釜山航路を2002年に開設しました。写真は広島港宇品の岸壁で着岸中。本船自体は、阪九フェリーの中古船でもあり元「第十七阪九」という船名でした(1973年竣工)。この航路も長くは続かず、2005年に休止になっています。
  • 2003年3月「さんふらわあこばると」(松山観光港)

    2018年現在も就航している「さんふらわあこばると」。当時は合併前の関西汽船の所属で、上り便は別府→大阪南港の直行便、下り便は大阪南港→神戸→松山→別府の寄港便でした。朝6時台に松山観光港に寄港する姿は早起きしたときにだけ見られるものでした。当時のさんふらわあマークは蛍光色で光って見えます。当時は、ダイヤモンドフェリーもこのあと下り便の寄港がありました。
  • 2003年4月「さんふらわあにしき」(大阪南港)

    関西汽船の当時の大阪南港のバースはF1バース。今の名門大洋フェリー第2便が使用している場所でした。その後、別府航路は現在のATC側に移動しました。本船は2010年に減便により引退しました。